リフォームで手に入れた一軒家

1. 憧れの一軒家



私は、大学を卒業後、県外の企業に入社。会社の社宅に入居し、10年ほどの独身生活を経て結婚しました。

しかし、すぐには注文住宅を建てるお金もなく、同じ社宅の、家族部屋(独身部屋に、5畳ほどの和室と、寝室がプラスされた部屋)で2年ほど生活しました。社宅生活に慣れてきたのですが、結婚3年目に娘が誕生したことで、かなり部屋が手狭になってきました。


2. 一軒家への転機到来


社宅の家族部屋で3人で生活するようになって2年ほど経過した時、転機が訪れます。それは、妻の実家の祖父が亡くなったことでした。妻の祖父と祖母は一軒家に2人暮らしをしていましたが、祖母(妻の)は、もっと前に亡くなっていて、祖父は、しばらくの間一人で家に住んでいたそうです。

老人一人暮らしだったので、家の中はかなり荒れていましたが、家自体は築20年も経っておらず、家の中ほどは、外見は綺麗に見えました。

そこで、私から妻に対して、『あの家、田原市でリフォームして住めないかな?』と相談したのです。正直、給料も上がらず、新築はかなり厳しいと感じていたため、妻には申し訳ないと思いながら、一軒家に住むことができるかも知れない期待を持ったため、相談してみたのです。

すると、意外にも妻は乗り気で、『いいね。お母さんにも聞いてみる』と言ってくれました。妻の実家は、祖父の家の隣にあり、実質、今の管理は、妻の母親が行っていたためです。妻の母親は『思い入れのある家を潰すのは嫌だったから、とても良かった。隣に住んでくれたら、孫の顔も見れるし』と快諾してくれました。


3. リフォームへの道


ただし、条件が。部屋の中の掃除は、出来るだけ業者に頼まず、自分で行うことでした。

また、祖母が園芸好きだったため、家の周りのいたる所に、プランターがありました。手入れをする人もいないので、荒れ放題となった状態だったので、まずは、そこから取り掛かりました。プランターの土は一箇所に纏め、プランターや鉢植えはかなりの量になったため、近所の産廃業者に引き取りにきてもらいました。土日の空いた時間に行なっていたので、2ヶ月ほどかかりましたが、これで家周りがかなりスッキリしました。その後、ようやく家の中に着手。とにかくものが多いため、廃棄するものの分別からスタートしました。昔のレコードやカセットなど、廃棄に困るものが沢山ありました。通常の燃えるゴミや、プラスチックごみに出せるものは、ゴミ袋に詰めて、毎週社宅に持ち帰り、こっそりと出していました。産廃業者は、ゴミの分別がひと段落着くごとに、定期的に呼びました。最終的には7〜8回産廃業者には来てもらい、引き取ってもらい、ようやく家の中がスッキリしました!これが一番長く、4ヶ月はかかりました。


4. 入居日に間に合わず…


家の中が、ようやく整理できたことで、リフォーム業者に依頼を検討し始めました。何社か見積もりを依頼しましたが、中にはリフォームと聞いただけで、明らかにやる気のない対応をする業者もいたのがショックでした。

やはり、新築依頼でないと対応が悪い業者もあるものだと感じました。

結局、業者は、地元密着型の業者にしました。対応していただいた方もとても親切・丁寧で、こちらの要求に対しても、嫌がらずに聞いてくださいました。そして、リフォームのスケジュールを決めて、12月の末に入居することになりました。

できれば新年は、新居でという願いもあり、少しスケジュールを詰めていただいたのですが、これが良くありませんでした。家の外装塗装も行っていたのですが、天候などにもよって、やや押し気味に。

これにより、結局入居日に全ての準備が間に合わなかったのですが、すでに引っ越し業者にも依頼していたため、断ることができませんでした。

やむなく、家の和室に、置くことができない家具をまとめて入れてもらい、その隣で布団を敷いて寝ることになりました。

本当は、二階の寝室で寝る予定だったのですが、二階のワックス掛けが間に合わないため、ベッドなどは全て一階の和室に詰め込んだ状態となりました。

5. やっぱり一軒家がいい

その後は、一週間ほどして、リフォームは、完了しました。義弟の助けもあり、どうにかベッドを二階に移すことができ、和室の荷物も、本来の居場所に移すことができました。



すれ違うのも大変だった社宅の生活でしたが、今は広々と一軒家で生活できていて、満足しています。いろいろと苦労がありましたが、社宅での生活から抜け出せたことで、家族も楽しんでいます。